約束は自分への気休めなのだろうか・・・。

最近、奥華子さんというsingerさんにぞっこんな風花です。

今回は、そんな奥華子さんの楽曲にまつわる話。

「楔-くさび-」という曲があります。
その詞の一節。
♪不思議だね どうして人はすぐに 守れない約束をするのだろう
♪人の心を繋ぎ止めるものなど どこにもないと知っているのに
♪心を繋ぎ止められるものは約束じゃない
♪約束は自分への気休めなのだろうか・・・


これについて思うところを。

まあ、恋愛についての曲ですので、ここで言う約束とは「ずっと好きでいる」というような内容のものでしょう。
で、このような約束について。

自分と相手という二者間での約束ですから、
「私はあなたのことをずっと好きでいる」・・・A
「あなたが私のことをずっと好きでいる」・・・B
という、A・B2通りの約束が考えられるわけですが。

一方がBの約束をすることを考えると、相手方はAの約束をしていることになります。
「心を繋ぎ止める」という表現で言うなら、Bは「あなたの心を私に繋ぎ止めたい」となるでしょう。
これは相手方にとっては「私の気持ちをあなたに繋ぎ止めたい」になります。

Bは確かに気休めに過ぎないかもしれません。
しかし、Aはどうですか。

だいぶ前にも自分のBlogでこんな記事を書きましたが。

約束において保証されるのは、「守ろうとしているその気持ち」だと思うのです。
結果的に約束を守れなくなったとしても、守りたいというその気持ちは変わらないのです。
そういう意味で、私はこれは意思表明とか決意表明だと思います。

とまあそんなこんなで、私は「約束は自分への気休め」という意見には反対の立場を表明するものです(何

ま、それでもこの歌好きなんですけどね(^^;
こんな記事を書くくらいに。

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この記事へのコメント

クエトロ
2006年09月28日 14:42
約束とは、制約であり、当事者同士の縛りだと、思います。
気持ちと言う概念は、約束の中に含まれないと、考えます。
なので、「約束は自分への気休め」と言う意見を否定はしません。
ただ、肯定もしません。
私の考える「約束」とは、縛り以外の何物でも無いと、考えており、出来ることなら「約束」などしないに越したことは無い、と考えております。
2006年10月03日 18:30
クエトロ 様>コメントありがとうございます。

「約束」という言葉の捕らえ方の違いだと思います。
「約束」という言葉一般に考えると、確かに気持ちという概念を含まないかもしれません。
しかし、「すでに交わされて、存在している約束」を考えるとき、そこには気持ちがあると思います。
縛りという言葉で言うなら、それは「縛られてもいい」という意思です。
その意思がない限り「約束した状態」にはなりません。

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