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zoom RSS 「必要悪」という言葉。

<<   作成日時 : 2005/08/03 17:56   >>

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何となく「必要悪」という言葉が気になったので,これについて考えてみる。

辞書的な意味としてはこんな感じ。

簡単に言うと,「悪いことなんだけど,これをなくすともっと悪くなるから,なくすことができないもの」という感じだろうか。

つまり「善・悪」という軸と「要・不要」という軸で考えたときに。
「悪ならば不要である」という考えの下で,悪をゼロにすることが出来ないという現実において,最小値として残ってしまう「悪」を「必要悪」と呼ぶ。

つまり,「本当ならなくしてしまいたい」けれども「なくすことができない(なくしてしまうと,他の「なくしたいもの」が多くなってしまう)」ようなものということだ。

何故こんなことを書いてるのかというと。
「必要悪なんだから,そんなに嫌うべきではない。むしろ肯定的に受け入れるべきだ。」
というような意見が通るかどうかを,自分なりに検討しようとしたからなのだけど。

「悪」つまり「本当ならなくしてしまいたい」ものを無理矢理受け入れているのにもかかわらず,「嫌わず,肯定的に」なれるものなのだろうか。
「善」なるもの(あるいは善悪二元論のように感じられて抵抗があるなら「悪」でないもの,と言ってもいいが)を肯定的に受け入れるのは,抵抗がない。
しかし「悪」だと思われるものに対し「必要だから」という理由で「肯定的」になれるものだろうか。

「必要悪」は「必要」だけれども「悪」なのである。
「必要」だからという理由で「悪ではない」と考えることはできない。

「必要悪なんだから,そんなに嫌うべきではない。むしろ肯定的に受け入れるべきだ。」
という意見は,「必要悪は『悪ではないもの』として受け入れるべきだ」という意味に思えてしまうのである。

必要悪はただ「必要である」という理由において,その存在を否定されずにいる。
「存在を否定しないのだから,悪ではない」という捉え方は本末転倒のように思う。

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コメント(50件)

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必要悪
それは悪です。
あので
>「存在を否定しないのだから,悪ではない」
は、肯定しがたい考え方になります。
私的には、「存在を否定はしないが、肯定もしない」存在になると思います。
ただ、色々な考え方があるので、正しい答えは無いでしょう。
結局は、自分に合う結論を持ってこないと、釈然としない目に合う、お話ですな。
クエトロ
2005/08/03 20:11
アレですよ。ぜんざいやらに塩入れたり、塩こぶそえたりするでしょう(えらい例えにはいったぞ(汗))。すいかに塩ふったって、スイカはスイカ。塩は塩なのでございますよ。なくてもうまいけど、あるとなおうまい(いや好みだろうけど)ですけどね
あじのもと
2005/08/03 21:05
クエトロ 様>コメントありがとうございます。
「必要悪」という言葉の意味と、価値観の多様化というのが鍵かな、と思いました。
一般に「悪であり、存在を否定されているもの」は、たとえ価値観が多様化されても、それぞれの価値観において、ある程度は「悪」という認識が強いように思います。
しかし、「悪ではあるが、存在を否定されないもの」は、いくつかの価値観の中では「悪」と認識されなくなってくる。
そうすると、記事の文章のようなことになるのかなと。
ただ、「悪」でなくなったものは、もはや「必要悪」ではないと私は思うのですが。
何が「悪」かという価値観が変わっているのに、何が「必要悪」かという部分は変わらずに残っている、という感じです。
風花@管理人
2005/08/04 07:06
あじのもと 様>コメントありがとうございます。
なんかすごい例えですね・・・。
もはや何を例えているのか、私には難しすぎてよく分かりません(^^;
風花@管理人
2005/08/04 07:09
 風花さん、こんにちは。エリーです。
---
 もし「善/悪」という「対立するもの」という価値観で考えたのなら、「必要悪」はどこまでいっても悪だと思います。
 私自身は「個性には両面があり、その人らしさを生かした行動を善、過剰もしくは消極を悪」と考えています。
---
 個人的には好きになれないけど、「その人がそれをしてくれることで局面が動く」ならそれは善と考えます。自分と相手は違う価値観を持っていることを無視して、「相手の行為の利点を全く見ない態度」を悪と考えます。事態が進展しないからです。問題が認識されただけで、解決することはないと思う。
---
 そして「個人的には好きになれない」が「必要悪」に該当すると考えます。つまり「個性の違い」であり「好悪の問題」と捉えます。「私が私でなくなることは出来ない」以上、「他人が他人であることも受け入れるしかない」という意味で「どうにもならない違い=必要悪」と考えます。
エリー
2005/08/04 14:00
エリー 様>コメントありがとうございます。

「事態を進展させる」「解決する」という態度が「必要」に当たり,個人的には好きになれないものが「悪」に当たる。なので「そういう態度の中で,個人的に好きになれないもの」が「必要悪」だ,という感じでしょうか。
「必要悪」と言う場合の「悪」の解釈がやはり私とエリーさんとでは少し異なるようですね。

この辺,考え方の違いが出てて面白いです。

私は,「必要悪」の「悪」とは「個人的なもの」ではなく「社会的規範から見たもの」と考えています。

「個人的な好悪」であれば,「そんなに嫌うなよ」という言葉にもそれほど抵抗がないのですが。
「社会的規範」から見て嫌われる(であろう)ものに対して,その社会に属している者が「そんなに嫌うなよ」と言っているように受け取ってしまうので,不自然に見えるのです。

#突き詰めていくと「社会的規範とは何か」みたいなことにもなりますが・・・(^^;
風花@管理人
2005/08/04 14:53
悪ですから肯定的に受け入れるべきものではないと思います。ただ、無ければもっと困るのであれば取り締まらず見なかったことにしておこう、という強いて言えば消極的肯定の立場になるのかと。
寧ろそういう必要悪が出てしまう法や法の行使の仕方が悪いのではないかと思います。ただそういう悪を隅々まで無くすのであれば法自体を無くすしかないのでしょうけど・・・(苦笑)

そういえばTRPGで盗賊ギルドなども必要悪としている世界もありましたね。
ひでぽん
2005/08/04 16:23
ひでぽん 様>コメントありがとうございます。
ふむ。盗賊ギルド。
ふむ。確かに「必要悪」っぽい!
これはいい例だ!

ある種のTRPGシステムの世界観を知る人にはわかりやすい。
・・・かなり限定された範囲のようだけど(^^;
風花@管理人
2005/08/04 19:10
 個人の好悪とはちょっとちがいます。
 議論好きの人が問題を指摘することを、波風立てたくない人は嫌だ(悪)と感じるでしょう。波風立てたくない人が異見を押さえ込もうとするのを、議論好きの人は嫌だ(悪)と感じるでしょう。
 個性が違う以上、集団同士でも対立が起こると思います。「私とあなた」でも対立は起こるし、「私達とあなた達」でも対立は起こります。
---
 問題を指摘して不安を煽るだけなら、確かに迷惑です(積極)。でも指摘されずに問題が認識されないままなのも困る。嫌われることを恐れて、気づいたのに問題を指摘しないのも困った態度です(消極)。
 波風立てさせない為に異見を封じようと圧力をかけたなら、見た目には穏やかですが納得していない以上不満が残るでしょう(積極)。問題が指摘された以上、解決して平穏な状態を取り戻す必要があります。自分には解決出来ないし、争いは終わらないと諦めてしまうのも困った態度です(消極)。
---
 入らないので分割します。
エリー
2005/08/05 09:50
 自分の評価や状態ばかり気にかけて、状況に対して働きかけないのを「悪」としているのだから、「社会的規範から見た悪」というのはたぶん同じだと思います。
 おっしゃる通り最後は「模範とは何か?」という問題なのだと思います。「自分の範囲」の問題でもあります。
---
 「自分の意見=自分の認識=自分の範囲」の場合、「自分と相手のどちらが正しいか?」という話に発展しやすいと思います。
 「自分の意見+相手の意見=自分の認識=自分の範囲」の場合、周囲の環境も含めて自分の問題と認識しているのですから、「どんな状態を保つことを目指すか?」という話に発展するのだと思います。
エリー
2005/08/05 09:50
エリー 様>コメントありがとうございます。
システム上,文字数制限があるため,ご不便をおかけします。

私なりにエリーさんのコメントをまとめてみます。
(消極)や(積極)で書かれてるような,「問題の解決に繋がらないこと」を悪だと考えていて,「問題の解決に繋がること」なら(そのやり方が気に入っても気に入らなくても)善だと捉える。
そして,善のうちで,やり方が好ましくないものを「(好ましくないと思う人にとっての)必要悪」と言う。

という感じで受け取っています。

それに対して私の「必要悪」の考え方は。
エリーさんの例で言うなら,「問題の解決に繋がらないこと」を悪,「問題の解決に繋がること」を善,という前提の下で,「問題の解決に繋がらないこと(悪)」なんだけれども,否定できない(必要)であるというものを「必要悪」と考えます。

続きます。
風花@管理人
2005/08/05 11:31
最終的にはやはり「規範とは何か」,つまり「自分(たち)」の範囲の問題にもなりますが,
「これは必要悪だ」という認識の共有は,「何が悪か(善・悪観)」の共有,つまりは規範を共有している者たちの間で出来るものだと思います。
その規範を共有する者たちの中で「必要悪を肯定的に受け入れる」という考えが出ているように思うので不思議なのです。

規範を共有してなければ「君らが必要悪と言っているものは,我々には悪ではない」という主張になるかと思います。
そして,そういう主張であれば,私の考えからしても不思議ではありません。
風花@管理人
2005/08/05 11:56
 風花さんがおっしゃる「必要悪を肯定的に受け入れる」を私は「甘え」もしくは「自意識過剰」と考えています。
---
 「同じにならない=必要悪」を肯定した場合、「自分に分からないのは仕方がない=自分は被害者である=だから分からないことは許される=甘え」、「自分は間違っていない=違うのだから相手を認めなくてもいい=自意識過剰」と考えます。
 なんでも他人のせいにする「被害妄想」と、なんでも自分のせいにする「誇大妄想」とも言えます。
---
 結果「影響は互いに与えられたり、与えたりするもの」ではなく、「どちらに原因があるのか?」という犯人探しをする。そういう「自分が犯人になる・ならない」でしか考えない態度を「悪」と考えています。自分が犯人ではないとしても、問題そのものがなくなる訳ではありません。
 そして「悪いことは分かっているが自分だけは許されたい」という態度を「未熟」であり「甘え」と考えます。
エリー
2005/08/05 12:49
 もっと具体的に書けば「問題は解決しなければならない。でも自分には分からないのだから仕方がないじゃないか。なんとかしてよ」や「私の意見が分からないお前はバカだ。分かるようになれ」という態度が「必要悪を肯定的に受け入れる」であり、「甘え」や「未熟」と考えます。
エリー
2005/08/05 12:49
エリー 様>コメントありがとうございます。
>「必要悪を肯定的に受け入れる」を私は「甘え」もしくは「自意識過剰」と考えています。

これでだいぶ分かってきた気がします。
エリーさんの言葉を借りて言うなら,
「必要悪を肯定的に受け入れる」は,確かに「甘え」です。

私には,この「必要悪を肯定的に受け入れるべきだ」という主張をする人は,主張を聞く人と同じ善悪観を持っており,そうである以上それが「甘え」であることも自覚しているはずだ,という考えがあります。
それが自分の「甘え」だと自覚していて,それでもなお,その「甘え」が受け入れられてしかるべきだと言っている態度だと受け取るので,「そんなわけないでしょ」と言いたくなるのです。
風花@管理人
2005/08/05 13:34
 書き方に関係なく、「甘えた態度は絶対に許さない」という主張には「あなたは違うのか?」と問い詰められるのだと思います。きっと「甘えたいけど許してくれないのだから仕方がないじゃないか」と言われれば納得すると思います。自分と同じ価値観と納得できる。それを「全然」と否定すれば攻撃される。
---
 攻撃側に見られる「自分は特別許されたい」という気持ちは、「自立していない子供の態度」と言えると思います。子供だと言われる側にとって、「自分は全然平気ではない」という事実は公言できません。「相手は本当に平気である」と認めることも出来ません。自尊心を維持できなくなるからだと思います。
---
 「人としてどうこう」というたいそうな問題ではなく、「年齢の差」だと思う。同じ失敗を経験しているから相手の状態が分かる。見守られる立場を経験したからこそ、見守る立場に立つことが出来る。それだけだと思います。
---
 私なんて自分が批判している自覚などまるでなく、10年近く「どうして私の質問に答えない!」と言い続けました(笑)。簡単に引かれては物足りないです。
エリー
2005/08/06 11:08
エリー 様>コメントありがとうございます。
私の読解不足があったかもしれません。
読み返してみましたが、エリー様の「甘え」という言葉をつかうなら、私にとっての「必要悪を肯定的に受け止める」は「甘え」そのものではなく「甘えを積極的に許容する態度」ではないかと思います。
----
私の考えは、「甘えた態度は絶対に許さない」というものではなく、「甘えを積極的に許容する態度は絶対に許さない」というものです。
「あなたは違うのか?」に対する答えは「私も甘えている状態になっているかもしれないが、それは積極的に許容はしていない。できることならこのような状態は早く脱したい。しかしそれができないので仕方なく今の状態に甘んじている。」と答えるでしょう。
そして、「甘えである」ということを自覚しながら「それでもいい」というような発言をするのは、「甘えることを積極的に許容しようとする」という考えがあるからだと思っています。
----
これでもまだ話がずれているかも(汗)
風花@管理人
2005/08/06 16:07
もし自覚出来なかったら?
 無意識・無自覚の甘えなら、自分が甘えていることに気づかないし、指摘されても何を言われているのか分からないと思います。利他・利己の時に出した「強制力」という考え方です。
---
 私と相手は違う人間である。だから自分の行動に相手が怒ったのは仕方がなかった。そう思えば「変えたい」と思えます。でも自覚がなければ決意しようがないと思います。
 一方的に自分を否定する「俺は駄目な奴だから」「誰からも好かれない」という態度や、一方的に相手を非難する態度「俺の言うことが分からないのはバカだから」「俺の周りはバカばかり」という態度になると思います。
 ちなみに私は「自分がちゃんと出来ないから駄目なんだ」と自分を否定するタイプでした。
---
 「甘えない」という態度を意識し過ぎれば、「私は私、あなたはあなた」となり関係を持つこと自体が難しくなります。実際、主張し続けたうち途中の5年くらいは音信不通状態でした。でも「自分の主張は間違っていない」という怒りに支えられて、自分なりの答えを得るまで続けることが出来ました。
エリー
2005/08/07 11:23
 「甘えた態度は許さない」というのは、「自覚させないで放置する」「たとえ自覚できても仕方がないことと諦める」という意味です。たぶん、表現の仕方が違うだけで風花さんと同じことを言っているのだと思います。
---
 「他人がやっていることはよく見えるけれど、自分がしていることは気づかない」という問題でもあります。人が甘えた態度をとると「そんなの間違っている」と言うのに、自分が指摘されると「違うんだから仕方がない」と答えたりする。
---
 私が投稿で風花さんを指名したことだって「甘え」です。一人では事態を収拾することが難しいだろうから、同じ方向性で書き込みをしてくれそうな風花さんを指名した。「巻き込んだらかわいそうだけど、レスをつけなくてもいいし、適当に処理してくれるでしょう」という期待からとった選択です。
---
 風花さんは書き込みをして付き合ってくれました。でも無視された場合、「どうして私に協力してくれなかったの!」と風花さんを責めたらどうでしょう? 「分かるように書け」と要求する態度と同じになってしまうと思います。
エリー
2005/08/07 11:24
 私には「積極的に許容している」のではなく、「自覚がないのではないか?」と思えました。だから相手に書き込みを根拠に詳細に指摘してみたのです。
エリー
2005/08/07 11:24
 説明が中途半端な気がするので追加します。
---
 一年前まで、質問してばかりいる自分の態度を「甘えている」などと全く考えたことがありませんでした。「分からないことを聞いて何が悪いの?」くらいに思っていました(笑)。その上「絶対答えること」を要求していた。「考えたことがないかもしれない」などとは全く思わなかった。
---
 「忠告ではなく批判と誤解されていること」は気づくのが難しい。互いに疑わないからです。それで訪ねてみる気になりました。誤解しあったまま怒っているのはつまらないことだと思ったから。
---
 自分が投稿した書き込みに対して「ダブルスタンダードで話している」と何度か指摘されました。だから「無自覚な甘えなど私にはない」とは言いません。というより「無自覚を自覚するには他人の助けが必要」だからこそ書き込みをするのだと思います。
---
 長文失礼。
エリー
2005/08/07 14:55
エリー 様>コメントありがとうございます。
私は「無自覚」であるということは、「価値観を共有」出来ていない状態であろうと考えています。
----
「甘え」に対して「無自覚」であるなら、私と相手の間には「それが甘えである」という認識が共有できていません。
無自覚な人に、「それは甘えでしょ?」という類の、自覚を促すようなことを言ったとします。
自覚の無いうちは「あなたにとっては甘えかもしれないけど、私はそれを甘えだとは考えていない」となると思います。
しかし自覚した後、「確かにそれは私にとっても甘えだ。しかし私はその甘えを積極的に許容する。」となると、「自分でも否定すべきと考えているものを積極的に肯定しようとしている」という自己矛盾を含んでしまっているように感じます。

少し続きます。
風花@管理人
2005/08/08 08:05

「私から見て相手が「必要悪を肯定的に受け止めている」ように見える」のではなくて、「相手が自分で「必要悪を肯定的に受け入れる」と発言する」ということを論点にしているつもりです。
自分の発言である以上、「悪」については自覚的だろうと思います。
そうであるなら、それが「甘え」であることにも自覚的なのではないかなと思うのです。
風花@管理人
2005/08/08 08:06
 論点は同じだけど、立場が違うのだと思います。風花さんは「自覚していなければ無自覚である」という立場をとっているように思います。私は「自覚しているところと無自覚なところがある」という立場をとっています。だからこそ相手を「子供ではないか?」と思ったのです。
---
 大人だと分かりにくいので幼児を例にします。友達に「おもちゃ持ってきて」と言うのは「甘え」という自覚がある。これが母親に対してだと自覚がない。友達は対等だけど母親は自分より上だと無意識に思っているからだと思います。
 同じように友達に指摘されると反論しないけど、子供に同じ指摘をされると「子供の癖に生意気」と問題を否定する。友達は対等だけど子供は自分より下だと無意識に思っているからだと思います。
---
 この現象は友人同士でも起こります。
 この「相手が上:被害妄想」「相手が下:誇大妄想」という「無意識の働き」 が「甘えと自覚できるか?」に関係があるのだと思います。
エリー
2005/08/08 11:35
 忠告には2種類あります。「明らかに間違いを犯している相手を説得する」と「相手が見落としている点に自分が気づいたことを伝える」です。前者は説得なので理由を事細かに述べます。大人が子供にするものです。後者は報告なので理由は添えられません。(対等な忠告もありますが、この件には関係ないので省略します)
---
 「一部を全部みたいに言う」と指摘するだけで「他にはどんな可能性があるか?」という理由が添えられていない為、「相手が忠告を受け入れて、他の可能性について説明してくれること」を求めているように思えました。
---
 風花さんならどうします? 自分が考えた他の可能性を説明しませんか? 「相手と自分は対等だ」と思っている。だから相手が気づかない点に自分が気づいたなら、自分が説明をする。だから私は風花さんを指名したのです。
エリー
2005/08/08 11:35
 相手の方が上だと思っている場合、反論されると自分自身を否定されているような気がする。「意見を否定された」とは思えない。だから反論するより諦めて去ってしまう。相手は自分を対等だと思って「意見」として聞いたため、「意見には賛成出来ない」と言っているとは気づかないからです。
 私の場合はそうでした。相手が自分を「子供だ」と認めないのではなく、自分自身が「自分は子供かもしれない」と疑っていた。だからちょっとでも否定されると、「やっぱり子供だと思われている」とがっかりしてしまう。
---
 Aさんの意見がどんな意図で書かれたものなのか、Bさんには分かりません。Bさんは「Aさんの意見の意図」をBさん自身が考えたことを忘れて、Aさんに反論されると「自分の発言はAさんが言っているような意図ではない」と言います。
 それなら、「Bさんが思ったAさんの意図」も「Bさんが勝手に思ったこと」である以上、Aさんの主張が認められる筈です。でも認めようとしない。
 この状態を「自覚していることと無自覚なところがある」と言っています。
エリー
2005/08/08 11:35
 明日は万博に行くので返信出来ないかもしれませんが、この問題には大変興味があります。結論が出るまで続けることを希望します。説明が長くてゴメンね。
エリー
2005/08/08 11:37
エリー 様>コメントありがとうございます。
幼児の例で言いますと,友達に「おもちゃ持ってきて」と言うのは「甘え」という自覚がある。これが母親に対してだと自覚がない。
私はここで,母親に対して言うのをその幼児が「甘えじゃない」と思っていることを話題にしているのではなく。
友達に対して言うのを「甘えじゃない」と言うことを話題にしているつもりです。

「Aは甘えだがA'は甘えじゃない」という認識なら,周りにはAとA'が同じに見えてても,本人にとっては別物に見えているので,この主張は成立します。幼児の例に当てはめるなら「A=友人に言う,A'=親に言う」であり,これはその幼児にとっては矛盾していません。
ここで問題になるのは「AやA'はそれぞれホントに甘えなのか?」という自覚です。

しかし「Aは甘えだがAは甘えじゃない」という認識は,「甘えかどうか」の自覚以前に,考え方として矛盾していると思います。
ここで問題になるのは「甘え」に対する自覚ではなく,考え方そのものです。
風花@管理人
2005/08/08 18:22
私は「甘え」を自覚した上での「考え方の矛盾」に対する無自覚について。
エリー 様は「甘え」に対する無自覚について。
それぞれ言っているのかな,と感じています。
風花@管理人
2005/08/08 18:27
それはそれとして。

>「一部を全部みたいに言う」と指摘するだけで「他にはどんな可能性があるか?」という理由が添えられていない
という場合。

自分がその話題に積極的に関与しようとしている前提で。
その指摘が的外れでない限りは,他の可能性について説明すると思います。
しかし,もともとの話題は全部から一部を切り取って話そうとしているにもかかわらず,その話題を逸らしてしまう方向に行っているなど,その指摘が的外れなものであれば「それは今話すこととは直接関係がない」と言います。
まあ,そう注釈した上で,話題がそれることを承知で,そのやりとりにつきあうかもしれませんが,それは「もともとの話題について話す」という側面から見れば,不要な行為であり,必ずそうするわけでもありません。気分次第です(ちなみに,名指しで指名されれば話題がそれててもほぼ必ず答えます)。
いずれにしても「話題に沿っているか逸れているか」は主観的な判断ですので,人から見れば「自分勝手」に見えるかもしれませんが。
風花@管理人
2005/08/08 19:28
そして,AさんとBさんの「伝えたい意図」と「読みとった意図」について。

自分は「相手の伝えたい意図」誤読していないが,相手は「私の伝えたい意図」誤読していると思ったとします。
この「主観」は正しい可能性があります。
少なくとも,個人の主観的な認識のレベルで,矛盾があるわけではありません。
他者とのコミュニケーションに於いて,違う認識の人と意見の統一を図るためには解決すべき事柄も出てくるでしょうが,自分の中だけで収める分には特に問題ありません。

http://kazahana.at.webry.info/200505/article_31.html

ちなみに以前,「伝え手」と「読み手」のコミュニケーションについては,上記アドレスに関連するような記事を書いたことがあります。
今回の記事では,コミュニケーションではなく「自己矛盾」について書いているつもりでしたので,この話題についてはこちらの記事の方でコメント付け合うのが適しているかもしれません。
風花@管理人
2005/08/08 20:01
 接続トラブルで遅くなってしまいました。すみません。でも間を置いた分、冷静になれた気がします^^;
 私にも「意見の違い」なのか、「論点の違い」なのか分からなくなってしまったので確認させてください。
---
 風花さんが指定された記事「記述と読解。」は以前に読みました。記事にある「自分が書いた通りには伝わらない」という「共通認識がある」にもかかわらず、「自分の書き込みが意図とは違うようにとられていることを非難する」という矛盾の話を風花さんは記事「「必要悪」という言葉。」にしている、という認識で話していました。
---
 「必要悪=自分が変えられないなら、相手も変えないだろう」と考える。「違うのだから仕方がない」という考え方です。この考え方を私は「良いこと」と考えています。
 これが逆になり「あなたが変えないなら、私も変えない」という態度に変わることが風花さんが話題にしたい、「『甘え』を自覚した上での『考え方の矛盾』に対する無自覚」だと考えました。
 私の「いい・悪い」の判定基準は、「事態を解決できる・出来ない」です。
エリー
2005/08/11 11:52
 途中で風花さんが指摘された、「否定する相手も同じ価値観を持っている」という指摘を「自分で始めた態度が、相手の対応が原因で変えることが出来なくなってしまった」と解釈しました。互いに訳が分からなくなってしまっている。
 その原因を「書いたことが意図通りに伝わらないことは分かっているが、取り組む姿勢が違うことに気づいていない為に起こる誤解が原因ではないか?」と考えました。「聞きたかったから聞いただけ」なのに、「矛盾を指摘した後で根拠を言わないから」と言葉遊びで返される。
---
 私は「同じ出来事を話題にしているが、風花さんと私では原因だと思うことが違う」為の「意見対立」が起きていると思っていました。でも違うのかもしれません。「論点の違い」なら私もここでやめるべきだと思います。
 想定している出来事が違うのでしょうか?
エリー
2005/08/11 11:54
エリー 様>コメントありがとうございます。
私はこの記事を「必要悪」は「悪いこと」という前提の上で書いているつもりです。
「『違うのだから仕方ない』が『必要悪』」という発言を「『違う=悪』『仕方ない=必要』」と捉えます。
この立場に立つなら、「良いこと」とは「違わないこと」であり「違うのだから仕方がない」ではありません。
もし「違うのだから仕方ない」が「良いこと」であれば、それに「必要悪」という言葉を使うのは変ではないか、ということです。
これが二者(あるいは多者間)関係の話であれば、「違うのだから仕方ない」は「良い」とする人と「悪い」とする人は、それぞれ存在しておかしくない。
しかし、一人の人間の中で「違うのだから仕方ない」を「悪いこと」ではあるが「良いこと」というのは矛盾してるように感じるということです。
風花
2005/08/12 09:28
エリー 様とのやりとりについて言いますと。

私は、エリー 様のコメントを読んで、「必要悪」と「悪いこと(悪)」を別のものとして扱っている、と感じました。
つまり「必要悪」という言葉を「悪いこと」ではなく「良いこと」に使っている。
エリー 様の中では「必要悪」=「良いこと」≠「悪いこと」、私の中では「必要悪」=「悪いこと」≠「良いこと」という解釈です。
これなら、言葉の使い方が違うだけで、別に矛盾が生じているわけではありません。
もし「必要悪」=「良いこと」=「悪いこと」となるならば、「良いこと」=「悪いこと」という部分で矛盾が生じている、ということです。
風花@管理人
2005/08/12 09:53
一人の人の中での「これは良いこと」「これは悪いこと」という考えが、他の人から見ておかしいと感じても、本人にとって区別がはっきりしてるなら、それは問題にはなりません。
自分と相手の間に矛盾はあっても、自分の中だけにおいては矛盾がないからです。
一人の人の中で「これは悪いことだが良いこと」となる部分は、自分の中だけで矛盾があると考え、それを問題にしているつもりです。

「相手と自分との間の矛盾」については、この記事ではなく「記述と読解。」の方が記事として適しているかな、と考えました。
風花@管理人
2005/08/12 09:53
 「自分の希望した態度と違うこと=悪」と考え、「他人だから仕方がない=必要」と考える。「出来れば“期待通り”の反応が返って欲しいけど、“違う反応”でも仕方がない」と考える。この“違う反応”に対して、「自分の中でどう処理するか?」が「考え」と「返事」で「違うこと」を問題にしている。こう考えてよろしいでしょうか?
---
 私は「自己矛盾」が起きる根底には「言わなくても分かってくれることは良いことである」という価値観があるように思います。友達に母親を求めている。
 友達と母親の違いは何でしょう?
 どちらも「自分ではない人間=他人」です。他人である以上、自分が「考えていること」「感じていること」は分かりません。分からないけれど、母親は自分の子供のことを見守っています。だから「言わなくても分かること」が期待出来ます。
 同様に共通点のある人間に対してもやっぱり「言わなくても分かること」を無意識に期待してしまう。
エリー
2005/08/13 16:35
 そういう意味で前に出した例えは良くなかった。
 「私がおもちゃを持ってきて欲しいと“言っていること”を分かっている」ではなく、「私がおもちゃを持ってきて欲しいと“思っていること”を分かっている」と書けばよかったのかもしれない。
 言わなくても「おもちゃが欲しいことは当然である」と疑わない状態だから、「とって」と言われたら「とってくれるだろう」と期待する。
---
 自己矛盾するのは、話しているうちに「何かが違う」と気づいたけど、それが「何だか分からない状態」で起きるのだと思います。変えた方がいいけど、どう変えればいいのか分からない。「現状認識の曖昧さが自己矛盾の原因ではないか?」というのが、ここまでのやり取りで出した私の結論です。
 曖昧なだけなら問題は起きないけど、曖昧であることに自覚がないなら「別の可能性を疑うことが出来ない」と思います。他の選択肢が浮かばず、良くないと思いつつ態度を変えられない。デスマーチと同じ状態になる。
エリー
2005/08/13 16:35
 いつでも誰にでも起こることだから、この話題に興味を持ちました。「何が違うのか?」が分かっていれば、「仕方がない」と思えるが、分からないと「反論」したくなる。
 風花さんが考える「自己矛盾の原因」はなんでしょうか?
---
※私自身は「期待と違う反応=悪い」とあまり思っていないために、文章に矛盾が出てしまったのだと思います。失礼しました。
エリー
2005/08/13 16:36
エリー 様>コメントありがとうございます。
「何かが違う」と気づいたけど、それが「何だか分からない状態」ですか。
それは、私の考察にはなかった考え方です。

私は「自覚が無い」=「本人の中では矛盾が無い」,「自覚がある」=「本人の中で矛盾がある(ので、その矛盾をなくすよう考察を進める)」と考えていました。

よって、「自己矛盾がある」とは「矛盾に気付いておきながら、そのまま放置している」という状態だったのです。
これを、「気付いているが、気付いていない方が都合がいいので、気付いていないフリをする」=「狡さ」と捉えていました。
風花@管理人
2005/08/14 09:31
 私には「気づいてないけど気づかないふり」という意味が分かりませんでした。なぜなら、私は本当に気づかない為に問題を起こすタイプだからです。思い込みが激しいともいいます。私の場合、「違い」を気づかせないゆがみの原因は「相手が偉く見える」という自信のなさでした。「私には分からないことを知っている」と思った時点で、「それなら私が知っていることは全部知っているだろう」と考えてしまう。だから「分からない」と言われると「質問が分からなかった」と受け取ってしまう。そして「質問した根拠」ではなく、「質問内容」を表現を変えて繰り返す。この状態を「被害妄想」と表現しました。相手に「分かってもらえない」という気持ちになっている。
 相手には私が「主張している理由」が知りたいから言っているのだと分からなかった。そして理由ではなく相手の結論を言ってきた。たぶん、私が自信を持って「自分の意見」を言っているように見えたのだと思う。
エリー
2005/08/14 11:43
 これと逆のパターンが「相手が愚かに見える」という傲慢さだと思います。こちらの状態を「誇大妄想」と表現しました。相手は「分かってない」という気持ちになっている。
 どちらかというと、風花さんが想定している「必要悪」に近いと思います。「自分の真意に気づかないのは、相手が愚かだから」というニュアンスを感じるからです。もっと弱い主張なら「いい訳」としてとられると思います。
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 私が質問した相手に言ったことは「仏教的な教え」が元になっていました。それは母から教えられたもので、私は皆も同じことを知っていると疑っていなかった。けれど相手には新しい意見に思えた。私自身の見解も入っていたからです。自分が感じたことを付け加えたら、「違う意見」になることが私には分かっていなかった。
エリー
2005/08/14 11:43
 「何が違うのか?」を知った時、意地悪だから答えなかった訳ではないことを知りました。それまで「何かが違う」のは分かっているけど、「私は好きでも、相手は私を嫌いだから」なのか、「知っているけど教えないのか、本当に知らないのか」など「違うこと」が分からない為に、どう変えれば伝わるのか分かりませんでした。「これ以上は埋まらない違いだから、終わりにした方がいい」という判断も出来なかった。
エリー
2005/08/14 11:44
 この「何」と「特定出来ないこと」が原因で起きるトラブルは、かなり広範囲で起きているように思います。
 例えば「お酒に溺れる人」が「お酒を飲むのは悪いことだ」と思っているのに関わらず、「でもこれがないと落ち着かないのだから仕方がない」という場合、風花さんのいう「必要悪」のイメージに近いかと思います。
 でも本当は「お酒を飲みたくなる理由」があるのに、問題が「お酒を飲む」という行為を「する・しない」にすり替わってしまっている。この状態ではたぶん、解決は難しいと思います。
 「飲んではいけないこと」には気づいている。でも「何故飲みたくなるのか?」には気づいていない。原因が分からないから変えることが出来ない。そんな風に解釈しました。それを「現状認識の曖昧さ」と表現しました。
エリー
2005/08/14 11:44
 私は「曖昧な現状認識をはっきりさせる為に意見交換をする」という目的で投稿をしています。風花さんも同じだろうと思いました。だから指名させてもらった。「状況を別の角度から見た意見を聞くため」であり、「他の意見と比較するため」でした。その結果、去った青年は「聞きたいことを聞いているだけ」に思えた。
 根拠は「あまりに素直な反応」にありました。年を重ねると「私の考えは」という「我」が出てきます。そんなに素直に人の話を聞かなくなります。自分のフィルターを通して見るようになる。例え相手の意見に「そうかもしれない」と思っても素直に反応はしない。かっこつけて、「自分が気づいたかのように振舞う」と思う。男の子には多い特徴です。それを去って行った青年はしなかった。彼は自分の答えを自分で見つけられる人だと思う。そして見つけて去って行った。
 去った彼の「素直な意見」はとても参考になりました。私が気づいていなかった危険な状況に気づかせてくれたからです。風花さんが出した「必要悪」というキーワードも理解のヒントになりました。ありがとうございます。
エリー
2005/08/14 11:45
エリー 様>コメントありがとうございます。
私はどちらかと言えば他者との考え方の違いから来る「他者とのゆがみ」はそのまま放置して問題ないと考えてしまうタイプです。
もちろん,何かの理由でそれを解消する必要が出てくれば別ですが。
私がコメントを書くのは「自分の認識」と「他者の認識」の違いを明確にして,「いろんな認識があるんだなあ」と思いたいからという場合が多いです。
よって,「自分の認識」が「自分でも曖昧だと感じている」場合は,その曖昧さが自分の中で解消されるまで,あまり書き込みをしないです。それでも書く場合は「わかりません」と書きますが,それは別に「教えて欲しい」とか「説明して欲しい」という意味ではなく,「自分の中で明確な結論が出ていない」という「一つの意見」としての発言という意味が強いです。
風花@管理人
2005/08/16 11:02
逆に「教えて欲しい」とか「説明して欲しい」というような発言は,「わからないから」なのではなく「その発言を私なりに解釈すると,自己矛盾をしているように読めるので(おそらくそういう意図での発言ではないだろうから),私の読み方で誤解している部分を知りたい」というような意味になります。
そういった意味で,私は「私の書きたいことを勝手に書いてるだけ」という思いが強いです。
でもそれがエリー 様の考察の参考になったというなら嬉しいです。
ありがとうございました。
風花@管理人
2005/08/16 11:03
そのマイペースな取り組み姿勢が気を使わなくていいから話していて楽なんです^^
エリー
2005/08/16 11:53
エリー 様>コメントありがとうございます。
人からしばしば「気を使わせない」とか「近くにいて苦にならない」とか言われることがあるのですが。
ネットでのコメントのやりとりだけで言われたのは初めてかも。
それだけ「自分」を表現できている・・・ということなのかな。
そう思っておきます(^^;
風花@管理人
2005/08/16 15:30
必要悪について記事を書いた後に見つけてしまった。今更入り込んで失礼します。勝手な書込です。
簡単に読んだので理解不足があったらお許しを。
必要悪は悪か。必要性がある以上は悪とは言い切れないと思う。悪の根拠が問題だから。
物事には必ずリスクが伴う。リスクを悪だとしたら何も出来ない。だから必要悪の悪は本来の悪とは少し異なると思う。
善と悪の極端な選択肢ではなく、善と悪の間も含めた悪寄りの要素が強いものが必要悪だと思う。
従って悪=不要ではなく、悪い事を含む善とでも言うのでしょうか。紙一重だから状況で逆転もあると思います。
善は悪があって始めて成り立つ事。だから善を保つための悪が必要悪なのだと。
但し自分勝手な必要悪は、悪を利用した善でしたかない。

*汚して申し訳ありませんでした。
Pooh
2006/06/18 05:31

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「必要悪」という言葉。 日記というか何というか・・・/BIGLOBEウェブリブログ
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